昨日は岡山市議団主催の国保制度を考えるシンポジウムに参加しました。
国庫負担がどんどん減って、その分保険料が値上がりしている状況、保険証が無いから受診できずに手遅れになってしまう事例、保険料滞納でなけなしの預金がすべて差し押さえられるような事例などが紹介されました。国が負担しないから市も板挟みになっている感もあります。
ふと、国民健康保険とは何なんだろう、と思いました。何のために作ったのか。
---誰しも健康で文化的な生活をする権利があって、それを守るため、ですよね。
であれば、受益者が財政を負担するという考え方自体が本来からすればおかしい気がします。払わない人は、サービスを受ける権利が無いみたいな理論が出てきてもごく当然かも。
いつか見た悲惨なドキュメンタリーを思い出しました。
アフリカのどこかの国の病院で、異様にお腹が大きな赤ちゃんが運ばれてきました。お母さんはお金が無いから病院にかかれなくて、遠い村からやっとの思いで病院までやってきたのです。でも診察台の周りでは恐ろしい会話が。。。
明らかに重症で泣く気力もない赤ちゃんを前に、看護婦さんが「いくらお金持ってるの」と、オロオロするお母さんからなけなしの帰りのお金まですべて出させたのです。結果的には、赤ちゃんは手遅れでそのまま息を引き取りました。大きな目にたくさんの涙を浮かべて、ずっとずっとお母さんだけを見つめながら死んでいきました。そのつぶらな瞳が「お母さん、助けて。苦しいよ。抱っこして。」と言っていたようで、今も思い出すと涙が出ます。
今の日本もそう大差が無いのだと思いました。
前にも書きましたが、例えばニュージーランドでは公立病院は無料です。遠い街からでもモーテルの滞在費や飛行機代まで出ます。
お金がある人は高くても混んでいない私立の病院でいいわけです。
大切なのは最低基準をどう保障するのか。それがその国の本当の発達度だと思います。弱肉強食で弱者を見捨てるのは動物と変わらない。人間の歴史の中でせっかく発達させてきたのに、ここで後退させてどうするんだ!!!
人間にしかなし得ないこの社会保障というシステムを守って発展させることが本当の豊かさを得ることだと確信できた気がします。
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